思想および世相に関する諸々のコメント


by msaicc
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自己言及

哲学ブログの哲学的考察:

哲学ブログ、哲学日記、哲学xxxといった”ことば”が流行っているようです。しかし、しかしですよ、ニーチェ、キルケゴール、フッサール、ハイデッガー、ヘラクレイトス、ソシュール…といった一連の大天才たちの思想を全く理解できていないのに哲学ということばがそれだけでひとり歩きしている、この日本的な現象、どう思いますか?

 上記の哲学者レベルで哲学を理解することができる人間の確率は1/10億、1/100億ぐらいかと思います。ちなみに、将棋の羽生さんは将棋に関しては1/1億ぐらいの確率です。哲学も将棋も脳みその酷使という点では同じですが、人類への影響という意味では1対無限の開きがあります。別に将棋の天才を貶すつもりはありませんが、ゲームの達人と上記に示された一連の人間の存在の重み、凄さ、深さ、射程、その他すべてのことを考慮しても”哲学”の天才たちはやはり凄い…としかいいようがありません。

 インターネット、ブログ、ウィンドウズ、UNIX、LINAX、…といった一連の技術が主として米国主導で実用化され、戦略化され、グローバライズ化され、今、このようにして私のような人間でさえこのような雑文を全世界に目掛けて発信することができる…のですが、このことは何を意味するのでしょうか?

 私の大好きな思想家のひとりにキルケゴールがいます。20才から30才ぐらいまでの約10年の歳月をかけて彼の著作集をほとんど全部読ませていただきました。哲学的断片のあとがきも全部読ませていただきました。そこで思ったことがいくつかありました、彼の『反復』という作品があるのですがあの作品は少数の人間にのみ発信することを想定して書かれた書物であるそうですが、(作品を読めばそのような構成になっています)、もし、あのような作品が現在のこのブログ文化ではどのように受け入れられるのでしょうか? 

 言っていることがわかりますか? 書店へゆけば無数のゴミ(あっつ失礼)が、サイト一覧を覗けばそれこそ書店のゴミの数をはるかに凌ぐ天文学的量の”塵”がひしめきあって、ダーウィンの自然淘汰のあの世界、ダニエルデネット、リチャード・ドーキンス、マレー・ゲルマン、スチュアート・カウフマン、ロジャー・ペンローズたちが指摘しているあの現象を展開しているわけですが、皮肉なことにアメリカもイギリスも国家レベルでは既に淘汰される側に移行してしまいました! 

 インド、中国、日本、この三国がこれからの新しい時代の新しい地獄を演出する主役になる訳ですが、もう一方の主役が新ヨーロッパ合衆国であります。で、このふたつの陣営が世界最終戦争の主役になるわけですが、クリスチャンおよび非クリスチャンのいずれの立場を採用するにせよ、生き残れる確率…というより”真の救い”あるいは”真の悟り”に到達することのできる確率が1/10億あるいは1/100億であることは実に興味深いことではありませんか!

 私ですか? 私が救われる確率など1/1兆ぐらいですよ。でも、でもですよ、実際、ニーチェやキルケゴールのような例外が存在したように、例外は必ず存在するものです。例外者のみが救われるのか否かは別として、例外者(キルケゴールのことばでは単独者)が例外者について自己言及的に関与することは哲学のひとつの”ありかた”ではあります。
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by msaicc | 2005-09-19 08:32 | 人工知能