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思想および世相に関する諸々のコメント


by msaicc
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『意味論、意味処理、知識処理』

意味処理への道のり:

機械翻訳がそれなりに実現した現在、このレベルから、ほんものの人間のレベルにまでもってゆくにはどのような”major breakthrough"が展開されなければならないか、このことについていくつか論じてみたい。

 さて、機械翻訳がそれなりに実現したといっても、実際はまだまだ本格的な機械翻訳が可能になるまでは相当ながい年月が掛かることは間違いありません。なぜなら、意味処理の根本的な問題がまったく解決されていないからなのです。

 現在までの意味処理の原理は実体論的な範疇の考え方であり、従来の情報処理理論あるいはソフトウエア科学の延長線上にある考え方から一歩も脱却していません。つまり、ぶっちゃけた話、情報処理のレベルなのです。それが、たとえ一太郎のあのソフトの考え方であろうと、ちまたに溢れている諸の翻訳ソフトにしても、その他、AIソフトと名前がついているほとんどすべてのソフトに登載されているAI原理は本来のAIレベルの原理とは程遠い…というのが実情です。なぜそのように強く主張できるかといいますと、私は”意味処理”の分野でアインシュタイン”の一般相対性理論”に匹敵するようなそういう本格的な理論を確立したからなのです。

 名づけて”意味論的空間トポロジー”と呼んでいる概念です。これを理解するには、ソシュールの言語学、記号学が完全に理解できていて(つまり、故丸山圭三郎先生のすべての著作を完璧に理解し、かつ、前田英樹さんの『沈黙するソシュール』をほぼ完璧に理解しているレベル)、かつ、岩波の数学基礎講座の『集合と位相Ⅰ、Ⅱ』(彌永昌吉、彌永健一)を完璧に理解していて、かつ、長尾真先生のほぼすべての著作を完璧に理解していて、かつ、『GEB』、『解明された意識』(ダニエル・デネット)、『意識するこころ』(デヴィド・チャーマーズ)、『ダーウィンの危険な思想』、『カウフマン宇宙を語る』(スチュアート・カウフマン)、『クウォークとジャガー』(マレー・ゲルマン)…といった一連の読み物を数日以内で完璧に理解できる程度の素養が要求されます。

 私としては、できれば長尾真先生に”意味論的空間トポロジー”を読んでいただきたいのですが、どのように先生とアクセスしていいかわからないので(最近個人情報保護法というある意味で極めて悪い法律ができてしまったため、本来あるべき学際的交流に非常に支障をきたしているのですが、それはそれとして…)、まあ、このようなブログを介して、あわてず、じっくり、時期が到来するのを待っている状態です。

 そのうち、コメント、トラックバックといった方法で連絡がとれるようになるでしょうし、ぶっちゃけた話、無数にある使い物にならないウェブサイトが、できるだけ早く消えてなくなることをこころより願っている者のひとりであるということをはっきり申し上げておきますが、いずれにしても、インターネットの主流はブログに移行しつつあります。

 ウェブサイトでそれなりに研究内容を展開している方々のサイトを見かけますが、スピードが遅過ぎます。別に毎日更新する必要はありませんが、最低週一回ぐらいのペースでページアップが成されない限り、問題があります。

 まあ、そういう意味では、ブログは極めて有効ではありますが、ゴミのような多くのブログのなかで、わたくしのこのブログのように内容があるブログを捜すのはそれこそ”藁の中から針を捜すようなものでしょう。

 まあ、ライブドアさんも、エキサイトさんもバカではないでしょうから、学術ブログというものを専門的に領域化し、さらに個別の分野ごとに細分化してくれるようなそのようなサービスを展開してくれることをお待ちしております!

 さて、話をもどし、意味論的空間トポロジーとは純粋数学とソシュールの記号学が完全に合体した学問なのです。つまり、純粋数学であり、かつ、意味処理でもあるようなそのような未来型、学際型の全くあたらしい専門領域なのです。

 繰返しますが、博士レベルの必要はありませんが、大学の上級レベルでの『集合論』と『一般トポロジー』の知識は前提となっています。つまり、測度理論、ε-δスタイルの議論、コンパクト・Hausdorff空間といった知識と、もう一方の言語学、記号学に関しては、ソシュールのいわゆる”恣意性”と”差異性”の概念について、少なくとも丸山圭三郎先生が理解したそれと同程度のレベルでソシュールの基本的な考え方を理解している必要があるということなのです。

 ダグラス・ホフスタッター、デネット、ドーキンス、チャーマーズ、茂木健一郎…といった連中の著作を理解するには、数日で足りますが、フッサール、ハイデッガー、ニーチェ、キルケゴール、ソシュール、あるいは”測度理論”、”コンパクト空間”、”hausdorff空間”、”コンパクトhausdorff空間”、”Zornの補題”、”Urysonの補題”、”Tietzeの拡張定理”、”一般連続体仮説”…といった概念をしっかり理解するにはそれなりの時間と年期がかかりますから、それだけは念をおしておきます。尤も、とくに、コンパクト性、局所コンパクト性、一様コンパクト性といったことがらが瞬間にして何を意味するかイメージできるひとはこの世界での”オタク”でなければ駄目でしょう。(わたしは純粋数学については最小限度の知識しか持ち合わせていません。けれど、Zornの補題、Urysonの補題、Tietzeの拡張定理を教科書に沿って理解することは十分できます。ただ、自分でゼロから証明せよと問われればできませんが)

 まあ、だいぶ話が横道に逸れてしまいましたが、”意味処理”をほんとうに制するには”意味論的空間トポロジー”を完全に理解できなければ絶対にできないということは保証します。

(以下、次回につづく)
by msaicc | 2005-09-22 10:37 | 知識処理