思想および世相に関する諸々のコメント


by msaicc
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思想遍歴 (その2)

うつ病との遭遇:

昭和55年(1980年)12月24日、数ヶ月前から悪化していたうつ状態がその極限に達し、ときに、自殺寸前の状態で近くの町医者のドアを叩くことによって間一髪、一命を取り戻すことができました。

もし私に思想遍歴という言葉が許されるものであればこの原体験が契機ということになります。もちろん、子供の頃から”人生について”、”生きることについて”、”人間とは何か”、”時間とは何か”、”善と悪はどこから来るのか?”といったことを随分考えて来たことは事実でありますが、自分が”生きるか死ぬか”の極限まで追い込まれた状態で”生きる”ということがどういうことなのか…ということを考えさせられたのはこのときが始めてでした。

自分がなぜ”うつ病”になってしまったのかその原因は全くわかりませんし、また分かろうとする積もりもありません。ただ言えることは昭和47年ころから昭和56年頃までの約10年間の期間において、キルケゴールの著作、”不安の概念”、”あれかこれか”、”反復”、”哲学的断”、”死にいたる病い”、”おそれとおののき”、”キリスト教の修練”といった一連の著作を読破していたこと、田川建三氏のそれまでの殆どの著作を読解したこと、それと同時に八木誠一氏の主要な著作群および滝沢克巳氏の主要な著作群それにニーチェのいくつかの著作を読解していたこが挙げられます。

つまり、外面的には”敬虔な”クリスチャンとして教会生活、信仰生活、会社員生活…といったことをこなしつつ、内部ではニーチェの哲学とか田川建三氏の著作からの唯物史観的なものの見方考え方とがわたくしの精神的な内部において激しい自己矛盾を展開させるようになっていったのです。

もちろん、その当時はそのようなことは全くわかりませんでした。うつ病から10数年あるいは20数年の歳月を経た今だからこそこのようなことが回想されるのです。

いずれにしても、この”うつ病”の体験は、それまでキリスト教信仰が自分の実存の絶対的な根拠であったのですが、そのような”信仰の絶対性”そのものの根拠を疑ってみるような、そのような直感、洞察、偏向…というようなものを自分の人生に新たに齎したのです。(つづく)
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by msaicc | 2005-08-28 18:10 | 思想