思想および世相に関する諸々のコメント


by msaicc
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閑話休題

閑話休題:

 3つの寸劇

 ● 寸劇その1:  楽天 vs ライブドア

    もうこのお話しは大昔しの話題になってしまったような感じですが、あのころはライブドアのホリエモンさんが悪役で、楽天の三木谷さんが正義の味方…といった組立てで一連の丁々発止が展開されていました。大昔しといっても高だか1年前に過ぎませんが…。 で、この劇で得られたいくつかの帰結は、ぶっちゃけた話、プロ野球には未来がない! という恐るべき現実ではないでしょうか? もちろん、三木谷氏はそのことによってそれなりのメリットを引き出しているようですが、どう考えてもプロスポーツとしての”野球”はその耐用年数あるいは減価償却が既に終っているようなそんな気がしてなりません。もっと言ってしまえば、米国のメジャーリーグだってもう既に色褪せているのではないでしょうか。 

 このことは、あの9.11テロのとき既に漠然と感じていたことではないでしょうか! あのような衝撃を実際に近くで体験してしまえば、メジャーリーグでのプレーそのものが言葉が非常に悪いのですが”マスタベーション(=笑劇)”以外の何物でもないことは誰だって直観的に洞察することができます! それであるが故に、この夏、イギリスのテロの直前に”アフリカの貧困を真剣に考えよう”運動が展開され、さらに、今回のハリケーン”カテリーナ”の災害によって益々顕著になりつつあるのではないでしょうか!

 実際、イラク、アフガニスタン、ルイジアナ、その他全世界て紛争、内戦その他諸々の厳しい現実の中で生活しているひとびとの視点から眺めれば、アイスクリームを舐めながら楽しそうにベースボールを鑑賞しているようなそんな余裕などある訳がありませんものね! で、さすがの呑気なアメリカ人もようやくそのことに気づきはじめたみたいです! でも、もう手遅れです!
アメリカという国家そのものが奈落の底へ向ってものすごい勢いで驀進しているイメージをどうしても打ち消すことができません! 以上が寸劇1)から受けた第一印象でした。皆さんはどうお思いですか?

 ● 寸劇その2: フジテレビ vs ライブドア

    このお話は最初のお話しと違ってまだ記憶に新しいことかと思われます。で、結論から言えば、フジテレビさんもライブドアさんもどちらさんも”儲かる”ことができてメデタシ・メデタシといったところでしょうが、実際にはテレビの時代が終焉したことを意味していることを洞察できたひとがどれだけいるのかわかりませんが、少なくとも察しの早いひとはそのことを感じ取っていることは間違いなさそうです。

 野球の時代が終って、サッカーの時代になったということが人類にどのような影響を及ぼすかは知れたことですが、メディアの媒体形体として”テレビ”から”インターネット”にその主役が移ったということは、現にこのように”ブログ”で意見を発信しているこの現実をどのように認識しているか、それだけでなく、この亊に対してどのようなリアクションを展開するのか…ということまで含めて、これまでの一方通行の情報伝達からいわゆる双方向のコミュニケーションのそういう時代に変わっていることをしっかり認識することが本筋です。

 しかも、イラク、アフガニスタン、パキスタン、パレスチナ、その他世界のそれぞれの現場で、何がほんとうに起こっているのか…、やがてこの”インターネット”という媒体を経由して剥き出しの事実としてわたしたちの現前に顕れることでしょう。そして、驚くべきことに、あの米国が勝利者の側ではなく、まぎれもない敗者の側に運命つけられていることを見逃してはならないでしょう!

 ● 寸劇その3 小泉組み vs 岡田組み

    やくざの親分である小泉は長年の宿敵たちを長い長い年月を掛けて徐々に、徐々に真綿で絞め殺すように、段階を踏んで粛清することができた。そして、今回その最後の仕上げとして残る最後の敵たちをどのように抹殺するかいろいろ案を練っていたところである。一方、上流家庭の坊やである岡田は自分の店である”岡田商店”を全国に売り出すため小泉系列の店と競争して自分の地位を確立しようと希望にもえてチャレンジしていた…

 ”やくざ”と”坊や”との折衝だなんて…話が違うじゃないかと”読者”からクレームが来そうですが、まあ、まあ、それは寸劇として大目にみてください。とにかく、今回のこの寸劇、笑劇、衝撃的笑劇、笑劇的衝撃、その結果は皆さんが鑑賞されたまさにそのことです。

 戦後60年、これまでのわが国が歩んできた基本的な路線は名目は”自由民主主義”ということでしたが、その実体は”言論の自由が付加された共産主義(擬似社会主義)”という全世界が羨むような恵まれた状況に奇蹟的に置かれてきました。もちろん、朝鮮戦争、ベトナム戦争、その他無数の戦争の生贄の血を間接的に享受しながら…(自分たちがアメリカ人と同程度に搾取する側にあるということを認識している日本人は100万人にひとりぐらいしかいない筈;そのようにアメリカが日本人を洗脳しつづけてきたから…)

 しかし、かつてのソ連のゴルバチョフではないが、小泉親分は自分の”組み”がもはや全員を食わしてゆくだけの余裕がないことに気づき、強者・弱者の選別方式をとりいれなければならないことを受け入れ、非情なまでに改革路線を遂行する方針を決めた。これは、彼が権力の中枢にいたからこそできる決定でもあるのだが、エリート坊ちゃんの岡田君はまだまだ権力の中枢に自分が上るということの”ほんとうの”意味を理解できないでいた。

 もっとはっきり言えば、小泉親分がこれまで舐めてきた”悔しさ”、”苦しさ”、”哀しみ”…といったものの合計がその数十倍に達することがない限り岡田坊やが一人前のやくざの親分になることなど永久に無理なんです。

 小泉親分だって、世界のもろもろの親分に比べれば”岡田坊や”のレベルでしかありません(残念ながら…)

 という訳で、民主党の皆さん、小泉親分の数十倍もの”悪魔”を育てない限り政権を奪取することなど夢のまた夢に終ってしまいますよ。 政治に関るということは”悪魔”になるということを意味しているのです。逆に、国民はすべての政治家が”悪魔”であることを認識すべきであり、その上で、自分に最も害の少ない”悪魔”を択ぶのが政治あるいは”選挙”との拘りなのです。

 いずれにしても、戦後60年の歳月を経てようやく”選挙”というものが”悪魔”の選択であるということを国民が知ったことは喜ぶべきことなんでしょうが、もう遅過ぎます。小泉親分でもどうすることもできないような”目に見えない悪魔”にわれわれは魂をあずけてしまったからです!

 しかし、それでもわれわれは”政治”に関ってゆかねばならないのです。仮に、人類のすべてが最終戦争で滅びるとわかっていたとしても、それから逃れることはできないのです。残念ながら。

   以上 3つの寸劇からのメッセージでした。

 ※ 関連ブログ
 
■ ライブドア、哲学日記: http://blog.livedoor.jp./msaicc/
■ gooブログ、哲学日記: http://blog.goo.ne.jp/msaicc/
■ ウェブリブ、哲学日記:  http://msaicc.at.webry.info/
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by msaicc | 2005-09-15 06:53 | 世界最終戦争