思想および世相に関する諸々のコメント


by msaicc
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カテゴリ:思想( 6 )

思想遍歴 (その3)

”衆議院選挙”、”巨大ハリケーン『カトリーナ』”、それに”価値無き神の哲学”への関与…といった、一連の事態によって当該日記の基本的な思索の流れがしばらく”割込み”状態に陥っていましたが、ようやく本来の流れをとり戻しつつ回復にむかっていることは何よりです。

1981年(30才のとき)最初のうつ病を体験しましたが、1990年1月(42才のとき))、二度目の強烈なうつ病を経験しました。その後、自分の思考と思索は宗教や文学、哲学だけでなく、言語学(丸山圭三郎)、AI(人工知能;長尾真、)、認知科学、認知工学、知識ベース、知識処理、意味処理、意味論、意味論的空間トポロジーといった諸の専門分野の研究に没頭することになりました。また、上記の専門分野での学問に加え、2000年から2005年にかけてハイデッガーの『ヘラクレイトス』について約10000回の反復した読書により、その『ヘラクレイトス』という著作を自分のものにすることができました。 実に『キルケゴールの全著作集』を読破するより10倍もの時間とエネルギーがたったこの1冊に費やされたのです!

『ヘラクレイトス』について、解説はするつもりはありませんが、内容的には”空海の世界”、”ウパニシャッドの哲学”、”ヴェーダの世界”などに近いもの感じました…。要するに、極めて非西洋形而上学的な思想であるということなのです。

直感としての私の印象は”西洋形而上学”そのものの根底が終焉しつつあるようなそんな印象を受けたのですが、これからの歴史がどのような方向に人類を向わせるのか、興味は尽きないものがあります。また、インドのこれからの技術的、経済的発達及び発展が人類全体に何をもたらすか、これにも興味を擁いているものです。

要するに、何が言いたいかと言えば、欧米が中心となってこれまで引っ張ってきた物質文明、技術文明、西洋形而上学そのものの妥当性が揺らいでいるというこのことなのです。

比喩的に述べれば、最も西洋形而上学的なものが西洋形而上学的なものを廃絶させる…というこのゲーデル的な矛盾、このことにある種のアイロニーを感じない訳にゆきません。
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by msaicc | 2005-09-18 23:59 | 思想

思想遍歴 (その2)

うつ病との遭遇:

昭和55年(1980年)12月24日、数ヶ月前から悪化していたうつ状態がその極限に達し、ときに、自殺寸前の状態で近くの町医者のドアを叩くことによって間一髪、一命を取り戻すことができました。

もし私に思想遍歴という言葉が許されるものであればこの原体験が契機ということになります。もちろん、子供の頃から”人生について”、”生きることについて”、”人間とは何か”、”時間とは何か”、”善と悪はどこから来るのか?”といったことを随分考えて来たことは事実でありますが、自分が”生きるか死ぬか”の極限まで追い込まれた状態で”生きる”ということがどういうことなのか…ということを考えさせられたのはこのときが始めてでした。

自分がなぜ”うつ病”になってしまったのかその原因は全くわかりませんし、また分かろうとする積もりもありません。ただ言えることは昭和47年ころから昭和56年頃までの約10年間の期間において、キルケゴールの著作、”不安の概念”、”あれかこれか”、”反復”、”哲学的断”、”死にいたる病い”、”おそれとおののき”、”キリスト教の修練”といった一連の著作を読破していたこと、田川建三氏のそれまでの殆どの著作を読解したこと、それと同時に八木誠一氏の主要な著作群および滝沢克巳氏の主要な著作群それにニーチェのいくつかの著作を読解していたこが挙げられます。

つまり、外面的には”敬虔な”クリスチャンとして教会生活、信仰生活、会社員生活…といったことをこなしつつ、内部ではニーチェの哲学とか田川建三氏の著作からの唯物史観的なものの見方考え方とがわたくしの精神的な内部において激しい自己矛盾を展開させるようになっていったのです。

もちろん、その当時はそのようなことは全くわかりませんでした。うつ病から10数年あるいは20数年の歳月を経た今だからこそこのようなことが回想されるのです。

いずれにしても、この”うつ病”の体験は、それまでキリスト教信仰が自分の実存の絶対的な根拠であったのですが、そのような”信仰の絶対性”そのものの根拠を疑ってみるような、そのような直感、洞察、偏向…というようなものを自分の人生に新たに齎したのです。(つづく)
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by msaicc | 2005-08-28 18:10 | 思想

思想遍歴 (その1)

1972年(昭和47年)11月、4年間の留学生活を終えた後帰国しました。

帰国後、私はコンピュータのオペレータとして業界デビューを果たしました。当時、コンピュータ技術者はある意味でエリートの仕事でありました。もちろん、私はこのコンピュータの分野ではハードウエアの部門でもソフトウエアの部門でも全くの素人でした。しかし、昭和47年から昭和50年までの3年間でごく普通のコンピュータ・プログラマとして会社員生活を送っていました。

この期間における読書といへば、1): ”聖書”、2): ”コンピュータ関連の教科書&参考書”
この二つのジャンルの読み物だけでした。

せっかく小学生、中学生、高校生、大学生といった期間にそれなりの思想書に触れていながら、実際に社会人になってしまうとこのように非常に貧しい読書生活しか展開できないのが現実なのでしょうか? とにかく、昭和47年から昭和56年までのやく10年間は聖書以外の書物を殆ど読んだことがないといっていいほどの暗黒時代であったことは間違いありません。

繰り返しますが、小学校、中学校、高校のそれぞれの時期に基本的に受験勉強中心にガリベンしてきたわたしは、無事米国の大学を卒業して帰国することができました。そして、その期間に学んだことは”神”は存在する…というこの考え方でした。

小学生5年生のとき既にパスカルの『パンセ』に出会っていた私は、実際に”聖書”に出会ったときのあの異質なものとの遭遇といったような心理学的、教義学的、論理学的な諸々の反動を経験することはありませんでした。ある意味で(フロイト流に言へば)、予め無意識のレベルにおいてキリスト教的なものへのチャネルづけができていたのかもしれません。

 |---------▽--------->
      小学生5年    
      パスカル(パンセ) <------- 中学生時代 ------->
                    フロイト、フロム、フランクル、…
                      <--------大学時代------>
                        聖書、一般教養、数学
                        ☆キリスト教との出会い
一般教養: 文学、歴史、心理学、その他
                                          
専攻学問: 位相数学、微分幾何学、その他

図の意味: 小学生時代、中学生時代、大学生時代の3つの時代を通して実際に自分が到達した一次的な結論は”キリスト教的なものの見方、考え方、…”というものが基本となっているということを示しています。
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by msaicc | 2005-08-27 23:38 | 思想

プロフィール(その3)

読書遍歴:

大学時代を通しての読書の中心は”聖書”でした。もちろん、ジェームス・ジョイス(”若き芸術家の肖像”)、スコット・フィッツジェラルド(”グレート・ギャッツビー”)、といった文学書も読まされましたが、私の4年間の留学生活は数学における基礎的な訓練、すなわち”位相数学”、”測度理論”、”微分幾何学”、”位相幾何学”といった一連の数学の訓練と文学、歴史、宗教、心理学、哲学、社会学といった一連の一般教養の研鑚でした。

とにかく、奨学金留学ということでありましたので平均のグレードが”B+”を下回ってはいけないということで真剣に勉強しました。特に、文学、歴史、宗教…といった一般教養が自分にとって極めて困難な課題であったことを今でも思い出します。

いずれにしても、わたくしの4年間の大学生生活は、1):基礎数学の勉強、2):一般教養の研鑚、3):異文化との遭遇およびそれに対する順応、4):キリスト教との出会いおよびキリスト教への入信、5):キリスト教経由での”生きることの意味”への自己への問いかけ…といったことが中心的な課題でありました。
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by msaicc | 2005-08-27 22:43 | 思想

プロフィール(その2)

読書遍歴について:

わたしは中学と高校の6年間にフロイト全集のほぼ凡ての著作を中学生レベル、高校生レベルの理解ではあるかと思われますが読ませていただきました。この全集で一番印象に残っている著作としては”人間モーセと一神教”、”自我論;死(タナトス)への本能”(全集4)”、”トーテムとタブー”、”文化論”(全集6)、”芸術論”(全集7)などです。その中でも”自我論”は常に自分の中では中心的な課題ではありました。

さて、高校受験(都立上野高校を志望)で失敗し、大学受験(千葉大学を志望)でも失敗した私は、ある偶然の切っ掛けで”ゴールデン・スカラシップガイド(落合信彦著)”というものに出会いました。(リーダーズ・ダイジェストにその広告が掲載されていました) そして、落合信彦氏の諸々の支援と助言とにより米国ペンシルベニア州の”レバノン・バーレイ カレッジ”に奨学金留学することができました。専攻は数学(純粋数学)でした。

高校受験に失敗したわたくしは、都立紅葉川高校で大学受験のための勉強をしていましたが、その頃、駿台予備校には”高校2年生クラス”という講座がありそこで大学の標準的な教科書を使って微積分の演習をみっちり仕込まれました。また、またそのときの講師の先生の名前は忘れましたが、英語の勉強にホーンビーの”イディオマティック シンタクティック 英英辞典”というものを紹介してもらったことを憶えています。

そのような訳で、高校卒業の頃は少なくとも大学一年生レベルの数学の知識は搭載されていたこと、および、松本亨氏のNHKのラジオ講座”英会話”などを独自に勉強していたこともあって、私は奨学金を貰いながら無事”Lebanon Valley College”を卒業することができました。
(つづく)
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by msaicc | 2005-08-27 22:22 | 思想

プロフィール(その1)

私は1949年(昭和24年)8月8日生まれの男性です。 2005年の現在、56才の誕生日を迎えたばかりです。血液型はB、干支は丑(うし)、星回りでは六白金星、西洋星回りはしし座です。現在まで、一度も結婚歴がなく、たぶんこのまま独身で生涯を過ごすことと思われます。

趣味は読書、将棋ぐらいです。将棋に関しては”新宿将棋センター”での棋力認定が1級ということで、とてもとても趣味のレベルではありません。ほんのお遊び程度…といったところです。

読書に関しては、”哲学”、”宗教”、”心理学”、”精神病理学”、”精神分析学”、”言語学”、”記号学”、”位相数学”、”分子生物学”、”情報処理”、”認知科学”、”AI”、”文学一般(純文学)”、”民話”、”神話”、”童話”、”ファンタジー”、”考古学”、”文化人類学”といったものに興味を持っています。

哲学については、小学校5年生のときパスカルの『パンセ』に出会ったのが最初で、そのあと、中学生の2年生から高校の三年間、日本教文社のフロイト全集、みすず書房のフランクル全集のそれぞれの著作を中高生レベルでの理解であったかも知れませんが一応全部読ませていただきました。それと並行して、中学から高校までの間に馴染んだ思想家として、パスカル、デカルト、フロイト、フランクル(有名な『夜と霧』の著者)、エーリッヒ・フロムといったひとたちが代表的な思想家たちでした。この一連の思想家の中で若い私に最も影響を与えたのはもちろ、”パスカル”でした。ただ、パスカルの著作を読むということは”デカルト”の思想についてもある程度間接的に接触することを意味し、自分にとってはパスカルというフィルターを通してデカルトの思想に触れたのでした。 (つづく)
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by msaicc | 2005-08-27 21:46 | 思想